2008年04月26日

3−11 学校教育への不安

近年の学校教育では、いろいろ多くの教科を教えてくれる。このことは、生理学的立場から脳の発育・発達の面にとって大変よいことである。
身体は、バランスのとれた栄養によって養われ、保たれていくものである。手は、自分が動かすことによって器用になる。足も同様である。それはどうしてだろう。目を開けた場合、まず見、そして次の動作を判断・予測し行動を起こす。目を閉じた場合その動きを想像して身体を動かす。いずれも見ること、想像することで脳に刺激が伝わり、脳内で再度神経系へのフィードバック機能により、末端の筋へ情報が伝達される。

運動も学習も同じで、できるだけ多くの教科を学ぶことは、脳にとって多くの情報を得るという意味で有効である。しかし、あまり偏った刺激では豊かな脳の発育発達は見られないと考えられる。子供の頃から、脳に強いところと、弱いところの差がありすぎると将来の刺激や栄養の補給に無理が生ずる。

例えば、子どもが学校へ行くのを楽しい、おもしろいと思っていないということが報じられている。子供の脳を、膨らみつつある風船玉にたとえるならば、年少児にはいろいろな科目を少しずつ、風船玉が破れないように、成長に合わせて教える必要を感じる。この時間が長いほど、豊かな、優秀な頭脳が生まれると信じる。子供の頃いびつになったり、すでに破れているのなら、また違った発育発達を経る。この課題を解決するには、従来の科目にとらわれず総合科目の中で、日常生活や地域と密着した身体活動等を取り入れた基本運動を、身体で理解させ教えていく。即ち、身近にある題材を教材の中に取り入れて楽しく興味を持たせながら教えていくことである。日本の社会では入試に追われ、本来素晴らしい脳を、早期詰め込みにより硬直させ、破損させているのではないだろうか。時に不安を感じることがある。
posted by ひろし at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍:「宏峯への道」
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